朝、叔母から「ままえちゃん無事よね?」とLINEが。
それで事件を知りました。
登戸は時々行く場所の近く(といっても車で20分はかかる)なので、心配してくれたようです。
はじめは事件の全容が分からず。
誰が被害に?その方達はどうなった?
誰がやったの?なぜ?そもそも捕まってるの?
全ての情報がまだ出てこなくて、不安でテレビにかじりつきました。
そのうち色々と細かな情報が入ってきて、最後、最悪の結末…
二人が亡くなられたこと、犯人も自殺したということを知りました。
もう何も言葉が出なかった。
どうしてひとを巻き込むのだろう。
最終的に自分を刺すなら、なぜはじめから一人でやらない?
悲しみよりも怒り。
どうしてもそんな思いが出てしまう。
でもそれは、そういう考えは、これからの世の中のために良くないからやめよう、とTwitterで流れてきました。
一人で勝手にいなくなってくれという風潮は、今回の犯人のように何か鬱屈したものを持っている人達を知らずに刺激して、「やはり世間は自分のような人間を排除したがっているのだ」と思わせてしまい、事件を繰り返させることになると。
よく読むと、わかるのです。一理ある。
自分の家族が被害に遭っても同じ事言えるのか!という意見も見たけれど、そういう話でないのもわかる。
当たり前だけど、加害者を擁護しているわけではない内容だったし。
だけどそんな風に冷静に、落ち着いた考えを、すぐには持てないです。
だってどうしても納得がいかない。
亡くなられたお二人、会いたい人や楽しみなこと、素敵な未来がこれから沢山あったはずなのに。
お二人を愛する人達も沢山いたはず。
命は助かった子供達や大人の方も、一生忘れることの出来ない恐怖を植え付けられ、それとこの先ずっと付き合っていく。
あまりにも身勝手です。
辛いことを全て内包しろとは言わないけれど、他人を傷つけるのはお門違いも甚だしい。
だからやっぱり、今回の犯人だけに向けて言うけど、どうして一人で終わらせてくれなかったの。
どうしてどうして。
どうして、はずっと消えません。
爆発的な行動をしてしまうほどに苦しんでいる人に、そうなる前に手を差し伸べられる世の中になるといいけれど。
亡くなった方、怖い思いをされた方のためにお祈りをして眠ります。